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部屋とYシャツとわらG

部屋とYシャツとわらG

2006年 冬 その1

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元旦 [ 最近のことの日記 ]

 あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いします。

 年賀状で結構な数の知り合いに宣伝したので、それで初めて来てくれた方も、ありがとうございます!

 ただ、最近の日記にはあまり「自閉症への理解」とか「仕事を変わった理由」とか元々のテーマだった話が出てこないので、ぜひトップ画面の右側「フリーページ」の中の過去日記(できれば1から順に)の方をお読みください!(長くて大変ですが…)

 そして仕事上の最近の動きは、義父母にはあまり言ってなくて、講師をやっていることはわかっていても、大学の方に常勤の籍が置いてあるかのようになっていますので、来年の年賀状に「今時、公務員やめてビックリ!」とか書かないようにお願いします。(笑…でも本気)

 で、今日の日記。

 私の実家は山口県なのだが、今年も自閉ちゃんのSを連れての帰郷はかなわなかった。夏休みに、新幹線練習をしたり、宿泊練習をしたり、少しずつゴールに近ずいてはいるのだが、全行程が片道6時間以上かかるので、まだ踏み切れないままなのだ。

 混まない時期に初挑戦しよう…という所までやっと来た。新幹線は楽しく乗れることがわかったし、宿泊は跳びはねるベッドさえあれば何とかなるかもしれない…という所だ。(和室に2泊した時は夜中のパニックが大変だったがそれが理由かどうかは謎。やはり騒いでも平気なホテルのような所でないと親が不安…というところ)

 で、今年も、遙か彼方の、「日頃住む街」で年を越した。実家の方の風習では、夜中に初詣に行く方が一般的で、それも三社参り(七社参りということばもある)といって、神社をはしごするのが一般的なので、大晦日の夜はいつまでも続き、正月は寝まくって、お昼頃からボチボチ起きてまた飲んで…という感じだ。

 だが、人の家の習慣というのは違うもので、それに慣れるのは大変だ。夜遅くまで起きているのに(初詣には行かないが)、朝は9時頃には起きて…さらに親戚が集まるとかで昼前には車で出かけていく…というなんだか一年の最初から忙しモードだ。集まりの前に神社には寄れたが、その集まりの理由も、昼食のあとでお寺に墓参り…というのでなんだか正月行事なのか何なのか私には理解不能である。

 で、何がつらいか…その場所にはうちからは車でしか行けない。運転手が義父だけでは全員が乗り切れない(義妹も増えているので)。で、毎年、私も妻と子どもを乗せて車を出すしかない。それでいて集まった家では、お正月だから親戚のおじさん達は飲む。とても楽しそう。

 私もすごく飲みたいのに「我慢」が続く…。飲まなくてもハイテンションで話を盛り上げることもできるのだが、そばに義父母(飲まないし酔っぱらいが嫌い)も一緒にいて落ち着かないので、私は、くらーくなってたまに相づちを打って過ごし、時がなかなか過ぎていかない…という 「身も心も我慢我慢」 の新年行事なのであった。

 一年の計は元旦にあり…今年も家では他の権力者?に振り回される一年になりそうだ…トホホ。

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ひとつだけクリア [ 最近のことの日記 ]

 初夢とはいつのものか…昨晩のものだったり、今晩のものだったり、大晦日の夜のものだったり、旧暦でいうこともあったりと諸説あるそうだ。ようはこの3日間くらいの覚えているもの(都合のいいもの?)のどれでもいいと勝手に解釈している。

 昨晩は、夜寝る前に○HKアーカイブスとかで富士山の映像を見ながら寝たので、「これは、一富士 二鷹 三なす、富士は堅いな…」と思いながら寝た。

 朝7時くらいに、つけっぱなしのヒーターかコタツのことで文句を言われながら一度目をさました時に、「あっそうだ、今見ていた夢が初夢かも…」とねぼけたまま、必死でメモを取った。直前のものからその前のものまで順番に思いだしたので、「すごい、このストーリーはまさにスピルバーグとかそんな世界だ」と思いながら、また寝た。

 その後、10時頃に起きて、もう一度メモを見た。書いてあることから、内容はすべて思い出せるのだが、ストーリーは支離滅裂…。あほくさ…とは思ったがせっかくなので、そのメモから五つの場面を再現。


第1シーン
 大学の友人、鎌倉君(仮名)とバスに乗っている。車窓から見える風景は、誰もとらずに残ってしまっている、木になったリンゴ…。「今時は誰もとらないで残るんだ…リンゴの悲しみを歌おう! そして町の乱開発を嘆こう!」と鎌倉君が歌っていた。 これからライブハウスでライブなのに、新曲をこれから覚えるのでは間に合わない! 今日はピアノ(私)とベース(謎の黒くて長い人)とギター・ボーカル(鎌倉君)のトリオだ。「新曲は無理だ」と伝えようとしたのに、「いつもライブの時に車だから飲めない(昨日のネタの続きか?)」とまちがえて伝えてしまい、鎌倉君に「俺はいつも駅から遠くて歩くのが大変だ」と言い返される。

第2シーン
 校庭で小学生が野球をやっているがストライクが入らない。私がピッチャーを変わった。カーブがバシバシ決まるのに、カーブを知らない小学生が「ボールだ!」と言い張る。怒ってピッチャーをやめてキャッチャーになる。もう休み時間は後3分だから…とみんながあきらめて帰り始めていたが、代わったピッチャーがストライクを入れられた。バッターがその1球目をいきなり満塁ホームラン! 「やったー」とみんなが喜ぶ中を 「な、最後まであきらめてはいけないんだ!」と説教している私。でもなにか「賭け」野球だったらしく、私はみんなから千円ずつ集金していた。

第3シーン
 場所は学校の調理室。お昼の給食の準備をなぜか中学生がここでやっていて、さらになぜかPTAのお母さん達も朝からここで事務仕事をしている。そのクラスの担任の村中先生(仮名)が「頼むからもう上がってください」とお母さん達に頼んで、やっと「いただきます」ができた。その時のメニューは、ごはんの上に「マーボーナス」がかかっているように見えた。(三なすを達成!!)

第4シーン
 国?からの特命を受けて、兵士として人を追跡することになった私。渡された特命の印は右腕の白いリストバンド(見た目はスーパー銭湯とかのロッカーのカギと同じ)。最初は戦闘機にいきなり乗って右下に見える戦闘機の相手を追っていた。相手はいきなりパラシュート?で脱出。あわてた私は機内の客室乗務員さんに「降ろして!」と頼んだら、もう降りていた(戦闘機だったはずがいきなり旅客機になっているし、いきなり地上だし…)。
 追いかけている相手は兵士だったはずがいきなり女子大生に変身している。それを悟られぬように尾行する私(特命だったはずがただのストーカーになっている)。大学に入ってもさりげなくつけていくうちにそのお姉さんは、ラーメン街?に入っていった。

第5シーン
 そのラーメン街は地下3階まであるのだが、テナント料が月1万円だそうで、うちの卒業生が店主としてたくさん入っていると聞かされ、確かに見たことのあるような顔がおっちゃんになっていた。そのうち「優柔不断な人が集まるラーメン屋」という階に着く。4軒の店の中をくるくる回れるようになっており、九州ラーメン、しょうゆラーメン…と4軒ともうまそうで、私も他の見知らぬ人たちもぐるぐるまわって決めかねている。

 でも、決心した私は大声で叫んだ(実際にも寝言で叫んだ)!  

 「よし! チャーシューメン!」      完


(夢ですから…。人生に疲れてませんからご心配なく!)

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私は風邪 [ 最近のことの日記 ]

 新年早々、1月4日の朝からお腹が痛くなり、昼頃からとんでもなくゲリピーになり、食事も食べられなくてやっとヨーグルトだけ食べたけど上から出してしまい、完全にダウン。その後、夕方には熱も出てきて、丸一日何も食べずに、寝ているかトイレにいるかだけだった…。

 5日も、熱は下がったけど頭は痛いのでほとんど寝ていた。お腹も、軽くとった昼のそばくらいから少し安定してきた。しかし、今、肩のこりがすごすぎて眠れない…。昼寝しすぎてもあるだろうが、寝過ぎでなったのか、発熱の後のものなのか、痛みがだんだん広がっている…。湿布を貼ったものの今度はそれが妙にひりひり…。

 「風邪だからこの部屋に入ってはダメ」というのがSには通用しないので、一日中1階にいると、2階に行きたいらしくて、夕方から何度か侵入しては連れ戻されていた。寝る前に2階に来ると、普段は居間(今、私が寝ている)と寝室を行き来するのだが、その片方しかつかえないのがイヤで、昨日は結構怒っていた。が、今日はおとなしく寝たようだ。

 みんなと同じものしか食べていないので、食中毒ではないと思うが、昔、カキにあたった時のようだった。インフルエンザなのかノロウイルスなのかただの風邪がお腹に来たのか…いずれにしてもさんざんなスタート。

 まあ、これで今月は風邪ひかなくてすむかも…と前向きに考えよう!
(外に行く日だったら確実に漏らしていましたし…)

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おしりふき [ 最近のことの日記 ]

 やっとお腹も落ち着き、昨日は長崎ちゃんぽん○ンガーハットで、白菜とカニの入った期間限定メニューを食べた。久しぶりに栄養をとった。肩のコリというかしびれが寝付けないほどだったので、整骨院で整体というかいつも通りに肩・腰をやってもらうと、いつも以上の効果があった。食事にしろ整体にしろ、日頃は当たり前に思っていることに、ことさら感謝した。

 おとといの朝、肩のコリがひどくなっていった時、トイレでお尻を拭こうとして、なぜか届かなかった…。「あれ…」と思い逆向き(左側)からやっても届かない。「いつもと何が違うんだ」とぼんやりしながら考えるがいつもと同じなのだ。試しに前から手を入れても同じくらい肩とか腰がうまく回らない。少し腰を浮かすと大丈夫だったのだが、どうも日頃は思ったよりも複雑な動き(いやアクロバチックってことじゃなく)を必要としているらしい。

 今になって自分の動きを分析すると、右肩をひねって後ろから手を回し、腰をちょっとひねっておしりを浮かせてその隙間から…と結構大変だ。だから、肩が張っていて、腰も固くなっていたおとといは、やり方はいつもと同じなのにできなかったのだ。

 もしかしたら老後に向けて「もっとやりやすい方法を見つけなければいけない」のかもしれないと思った。(正しいふき方とかあるのだろうか?)

 ちなみにうちのS(7歳)は小の方のトイレトレーニングは昨年飛躍的に進歩して、やっと立ってできるようになり、洋式トイレがなくても大丈夫になったので、普通のパンツで外出できるようになった。ただし、自分の意志では行ける時と行けない時があり、平気でもらすので、時間を見計らって連れて行く(嫌がるくせに着いたとたんにドバーとかいうこともある)必要がある。

 ところが相変わらずなのが大の方だ。生まれてこの方、おまるとか便座に座ってやったのは10回未満だ。できた時はみんなでほめちぎったのだが、習慣化はしなかった。

 ほとんど家でしかせず、1階ではここ、2階ではここ…ときばる(ふんばる)場所を決めており、それがトイレではなくてテレビの前だったりするので(笑)、そこからトイレに連れて行くと…出なくなってしまう。で、何日も出ないと心配なので、結局そろそろという時間帯に紙パンツをはかせて、テレビの前でその中にして…というのが彼にとって「当たり前」としてインプットされてしまっている。

 なぜかうちでは洗面台のお湯でおしりを洗うというのを赤ちゃんの時から定着させてしまっているので、かなり前から「それがいかんのだ」ということを家の者に(というか妻に父母に伝えるように)言い続けていたのだが、権力がない上に自分があまりやらないので訴えは長年認められなかった。私がおしり洗いをやらないのはうんちがいやなのではなく「そんな変なやり方…」と思っていたからだ。仕事でよその子のおしり拭いたりしたのに、自分の息子のをできないわけがない。

 昨年の11月くらいからやっと、2階でやった時だけでも…と、とにかくトイレに連れて行き、大を便器に捨てる所を見せて、それからお尻をトイレットペーパーで拭く…というのを一人実行している。けらけら笑って(おしりにまだつけたまま)腰砕けになってしまうのでかなり大変である。パンツの中でやるとまわりの他の所にも着いているし…。とりあえず、洋式便座に座らせてこっちが拭くというのがやっと定着した。ゴールはまだまだ遠いなあ…と思う。

 思い出しついでだが、養護学校勤務の時、「入りたいのにいつまでも前の人が出てこない」と生徒に言われて、ノックして開けた。中学部の大きな子がまだ入っていて、自分ではお尻が拭けなくて困っているようだった。(多分担任はトイレで大便をしているのに気づいていなかった) とりあえず、彼にどう援助することになっているのかは知らなかったのだが、後ろを向いて固まっていたので「先生が拭くの?」と聞くと、コクッとうなずいて、ちょっとおしりを突き出した。

 そのポーズがおかしすぎて、「おいおい、なんで俺が他の学年の子のおしりまで大サービスなの」という学年セクトの狭い了見は消えてしまい、笑いながらお尻を拭いた。確かにそのポーズは拭きやすかった(笑)が、やっぱり身辺自立は大事だなあ…とつくづく思った。でも、拭かないで出てきても意外とわからないから、結構いるのかも??

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ああ下関駅 [ 最近のことの日記 ]

 今、他の人のブログを見ていて、ニュース欄に「下関駅火災」の文字を発見。「えっ」と思いクリックすると、木造駅舎(相当古いどでかい三角屋根)全焼とあった。燃え落ちた画像まで見て超ショック…。

 私は下関の出身なので(駅でいうとまた違う所が最寄りなのだが)、待ち合わせその他でよく使った場所だ。「駅の水族館」という謎の待ち合わせ場所があって、市営の水族館が一部の魚を駅構内に展示したりしていた。かなり大きな水槽だったのだが、時代の流れから小さく美しい物?に変わったりもした。今現在はあったのかどうか知らないが、あの場所(駅のコンコースとでもいうべきなのだろうが、だだっぴろいけどスカスカなあの感じは独特だった)がもうないのかと思うとさびしい。

 どちらかというと中高生の頃に「これから街で遊ぶぞ」みたいな時に使われた集合場所だったので、思い出も甘酸っぱいようなそうでもないような…。


 ちなみにこの「駅の水族館前」…10年くらい前(もっと前かも)にもニュースになった。駅の両側はタクシーが入れる道路なので、そこから強行突破して乗用車で突入した人がいた。そして、改札口(1階にある)付近までつっこんで下車すると、何とまわりの人を日本刀で斬る…というなんだかすごい事件が起こったのだ。その時は全国版のニュースでかなりやったので、「ああ、あの場所は…」と違う意味で思ったのだが、「縁起が悪い」のと「燃えてなくなる」のはやはり違うものだ。

 思い出の場所が消えた…という悲しみ以上に、おみやげ街の中の「うどん屋」が消えたのがさらにショックだった。(何書いてんだか、動揺してるな)

http://www.nikkei.co.jp/news/main/im20060107SSXKG001707012006.html

 うまくトラックバックがつけられなかったので、興味ある方は上のURLをご覧ください(多分、ことばで検索した方が早いですね)

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ああ下関駅 その2 [ 最近のことの日記 ]

 いくつかのトラックバックなどから「下関駅焼失」関連のブログを訪問した。もともとはどんな建物だったのか…という写真が見られた(「日子のさらさら日記」ひとつ下の記事にトラックバック先あり)のが何よりも嬉しかった。また、なんでも戦時中の特1等駅?とかいう全国に7つ(他はそれこそ東京とか横浜とか札幌とか)しかない格のある駅だったらしく、そのまま現存するのは下関だけだったという貴重さもあったらしい。

 友人などの情報では、ちょうど建て替えの計画が持ち上がっていた所で、保存・修復・建て替え…とかいろいろもめる可能性もあったらしい。計画が「前倒し」になって、「どんなのを建てるか」だけの問題になったのは経済的には市にとって良かったのでは…という声もあるとのこと。(こうなるとJR西日本も協力せざるをえないし)

 昨日の夕方の全国版のテレビニュースでは、同じ番組の中でふぐ料理の中継が下関で入った局(○ジテレビ)まであった。同じ日に、多々良学園は高校サッカーで山口県勢として初の国立競技場での準決勝…でも負けるし、その学園は民事再生法の適用申請中…とか話題多すぎで山口県恐るべし!


 ところで駅の建て替えは金銭的なことが一番大変と思われ、「山本譲二(下関出身)が北島三郎(師匠)とチャリティコンサートやるべき!」と書いてあるブログがあって、笑った。

 ついでだが、5年前の正月に、下関の綾羅木の長崎ちゃんめん?という店で、母と食事をして支払いをしようとすると、店の人が「お金はいらない」と言う。「え、なんで?」と聞くと、さっきまで飲んだり食べたりしていた団体が山本さんの所だったようで、「今、店にいる人全部のお会計を払いました」とのこと!

 まだ店を出たばかりで駐車場にいたので、駆けよって、「そんな困ります。払います。」と言うと、「いやあ、かっこつけさせてください! そのかわり、応援よろしく!」と笑顔。3秒後には「ごちそうさまでした」と言った私だった。

 この感じだと本当にかっこよく「駅舎復活」にも一役買いそうな予感が…。(多分、あの人の上京の頃は、新下関駅からの新幹線ではないはずで、下関駅から特急列車…のはずだし)
 
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始業式で感動? [ 最近のことの日記 ]

 今日は始業式だったが、おそらく教師になってから今までで一番いい「始業式」を体験した。

 メニューはある意味ノーマルだった。でも順番が違うだけでこんなにも感じが違うのか…と思った。始業式の順番…たいていはこうだ。

1 校歌  2 校長先生のお話  3 生徒の決意表明(オプションなので、ない場合が多い)  4 生徒指導主任の先生のお話  5 部活動の表彰

 4から先は一度始業式を閉じてから…ということも多いが、だいたいこんな感じだと思う。とにかく、1がしょぼしょぼで、2がだらだら続く…というのが基本だ。よくないのが「基本」っていう言い方も変だが…。 

 火曜日だけ指導補助員として行っている今日の学校は、上の数字でいうと 

3 → 2 → 4 → 1  一度閉じて 5 だった。


 たかが順番である。でも生徒を一番に持ってくることは、普通はない。何を大切にしていることのあらわれなんだと思う。多くの「学校長」職にある人は、やっぱりいばっている人が多いから「俺様が一番最初に話をしてやろう」という思いこみが強いのだと思う。で、だいたいおもしろくない話が多い(もちろんいい話の人もたまにはいるが)。

 まわりの人が「校長の話は後回しね」とは普通言えないから(朝礼ならともかく始業式ですから)、今回のこの珍しい順番は、おそらく学校長の方針でもう何回もやってきたことなのだと思う。だからこの学校ではごく自然にそれが流れていくし、号令をかけなくても自然に礼をするし、拍手のタイミングも実に自然だし、注意されなくても私語がない。

 で、会が進み(学年の代表各1名と特学から1名の発表があった)、校長の話の番がきた。そしてこれが何とも言えずよかった。話に引き込まれたので、長かったのか短かったのかもわからなかったが、金払った講演会で聞いても怒らないようなうまくて中身のある、あったかい話だった。生徒もビックリするほどよく聞いていた。

(内容は「数え年」について…新年に家族みんなで年をとるという考え方、生まれる前から命として認められていることとかの話が、「自分という人間の中には、地球と同じ38億年の営みがあるのだ」という話に自然に発展していき、自分を、人を大切にしよう…となっていくのだが、こんな文字数で表すのが申し訳ないくらいいい話だった。)

 恐ろしく寒い体育館だったが心があたたかくなる始業式。「校長が変われば学校が変わる」なんて本もあったが本当だなと思った。常勤で毎日いる先生達からの信頼も厚いと聞いている。もちろん日頃の積み重ねがあるからだと思うが、校長が切れ者で「いい人」の場合の学校経営はこういう所に自然に現れるのだなと感心したのであった。

 思わず、「よし、仕事がんばるぞ」という気にさせられた。単純だな…。でも単純にこの人の役に立ちたいと思える上司がいる時は幸せである。ちなみに書き忘れていたが、校長はこの地区では有名な女性である。金八先生の学校の今の校長、ちょっとかぶってるところもあるかも??

 ちなみに校長が切れ者で「悪い人」の時どうなるかは、フリーページや過去日記の 2「潜入 養護学校」や 3「養護学校でのいろいろ(大人の話)」とかで、ある養護学校の校長の学校経営としてご確認ください(笑)。彼も転勤後、元気に同じようにやっているそうです…。

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時代劇 [ 最近のことの日記 ]

 年末年始はいわゆる大型時代劇が多いので、「チャンスがあれば視るといいね。授業よりよっぽどよくわかるし」と冬休み前に生徒達に伝えた。

 ○デオ・リサーチ社とは別に、某中学校2年生3クラスの調査を本日実施。(といっても手をあげるだけ) 数字は各クラスの人数(記憶はあいまいなまま)。各クラス約37名在籍(計111名)。

新選組の続編「土方歳三最後の一日」 2人・3人・0人  計5名

武田信玄の参謀、山本勘助のドラマ  1人・3人・1人  計5名

大本命の南総里見八犬伝 10人・7人・3人  計20名

徳川三大紀  1人・0人・0人  計1名

 もともとテレビ自体を見ていない状況もあるのでこんなもんかな…という気もするが、やはり時代劇、低迷してます…。なぜなら里見八犬伝以外の5名は同じような人たちばかりなので…(本人または家の人が歴史オタク)

 テレビ局のライバル意識からか、1月3日に、里見八犬伝の後編、古畑任三郎の1日目、土方歳三最後の一日…とぶつかっていたというのが痛かったかなと残念に思う。三谷幸喜さんなんか自分の脚本同士がぶつかっているわけだし…。昔みたいに「親が見るからしかたなしに見る」というパターンも減ったように思う。「遠山の金さん」を知らない生徒も半分以上になってきている。(さすがに「水戸黄門」はみな知っている)

 この日の私は、土方を録画、里見をその場でみて、古畑をあきらめる…ということになった。里見八犬伝、見るまでは鼻で笑っていたのだが、その前日に意外にはまってしまい、後半を見ずにはいられない…となって急浮上してしまった。最後の戦いのシーンで、8人が横一列に並んで名を名乗り、タッキーが 「里見八犬士、見参」 とか言った時には、戦隊ヒーローものみたいで笑ってしまったが、よく考えたらこっちの方が本家なのか…と変に納得してしまった。

 後から「僕はもっとおどろおどろしい化け物が見たかったんです。さらりとしすぎですよ。」と訴えてきた「妖怪オタク」の男子生徒もいた。なるほどわざとそういう要素は演出しなかったみたいだ。菅野美穂1人の怖さで十分という所だったのか。

 当日は「脚本…滝沢馬琴(たきざわばきん)…こいつこれから売れるぞ…」とかいうオヤジギャグに、「江戸時代に死んでるって!」と妻にちゃんとつっこんでもらいながらエンディングを見た。「へー、そうなの」とか言われなくて安心した。(このあたりの世代は○HKの人形劇世代だからなぁ)

 ついでだが、「女王の教室」のエンディングで踊っている元宝塚歌劇団の天海祐希に対しては、どうしても毎回 「この女優、踊りがすごいうまいぞ!このドラマのためにがんばって練習したんだ!」とつっこんで、3回目以降は妻に「ハイハイ」としか相手にされなかった私である。

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 天神様 [ 最近のことの日記 ]

 今日の3人だけ(私込み)の選択授業の時、中3男子が嬉しそうに鉛筆を持っていたので、「これどうしたの?」と聞いた。

 担任の先生が、「天神様」の御利益鉛筆をクラス全員に配ってくれたらしい! ひとり1本ずつとはいえ太っ腹だ。(宗教がどうのこうの言ってくるうるさい親がいないことを祈る)

 菅原道真公?のありがたいことばとかもちょっと書いてあったりしたのだが、「受験の時はこれでやります」と張り切っていた。

 で、手にとってよく見ると、上の方に、「あ 1」 「い 2」 「う 3」 「え 4」とその生徒の字で書いてあった。四角柱のその鉛筆は「とても転がしやすいし、『もう1回』(六角柱だと選択肢のない所が出ることもある)が出にくくていいです」と、彼は語った。

 試験に持っていくと張り切っていたのは、わからないところの記号を書く時のための、サイコロがわりに最適だということのようだった。

 まさに「天の神様の言うとおり」 「神頼み」 「運を天に任せる」 「神がかり」 「神をも畏れぬ所行…」だ。

 それでも御利益がありますように!

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面目躍如 [ 最近のことの日記 ]

 本日の視聴率調査結果 (まだやってたんかい) 題名は適当、ビデオ録画も数に入れてある。

新選組の総集編再放送・・・・・6名
土方歳三最後の一日・・・・・・5名
里見八犬伝・・・・・・・・・13名
川中島 山本勘助・・・・・・・5名
徳川三代紀・・・・・・・・・・3名
国盗り物語再放送・・・・・・・0名
大奥・・・・・・・・・・・・・8名
功名が辻・・・・・・・・・・・4名


 ちなみに今日の調査対象は、選択社会科(幕末研究)を選んだ16名の人たちである。

 どれも見なかった人はたったの1名。先日の調査と同じ学校なのだが、前回、111名をもってして…の人数を、番組によっては16名の方が上回ってしまっている…。

 歴史オタクここにあり!である。

 ただ、この人達が中3だということだけが「受験勉強しなくてよかったのか…」という一抹の心配を残すのであった。

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マジソン 「韓国!(31214)」 [ 1年以上前をふりかえっての日記 ]
 多分、世の中では30年以上前に流行っていたマジソンスクエアガーデンのカバン。私の出身地・下関市の高校生の間では20年前くらい(80年代)もまだつぶしてぺちゃんこにして持つのが流行っていた。ある商業高校ではほとんど全員が持っていた…というくらいのすごさだった。

 当時の漫才ブームのネタで、島田紳助が「この間、下関に行ったらみんなマジソンスクエアガーデンのカバンを持ってた。スクールバッグかと思った」とバカにしたのを聞いて、「この街だけなんだ!」と驚いたのを覚えている(中3の頃かな)。

 でもそういうことも関係なく、その後もおしゃれな店で売られ続けていたし、卒業した高校生のお古をおじさんおばさんが広げて普通のバッグとして使っていたし、そのうちつぶさなくても最初から薄い製品まで売られてるようになった。

 一地方のブームとしては結構珍しいというか風変わりなものだと思う。その一方で、ユニクロの前身になる店(確かOS)という今となっては20年早く時代を先取りしていたシンプルなデザインの店も流行っていた。

 ついでだが、当時の地域限定若者ことばとして、「マジ?」 と聞く代わりに、「マジソン?」というのがあった。
  
 そのうち「マジソン・エジソン・ハーレーダビッドソン?」とかになった。(なんか小馬鹿にした感じだ)

 また、それは奇跡だ、すごい…と人の話に相づちを打つ時も 「奇跡・化石・下関!」とか言っていた。オヤジギャグもビックリの若者ことばであった…。

 また、下関の一部地域(安岡あたり)の人が「友だち」のことを、「俺の『チングウ』が…」とか言うので、そのうち流行って普通に会話に出るようになっていた。そいつらに「どんな字だ?」と聞くと「珍しく偶然の存在だから『珍偶』だ」と、はっきりと語っていた。

 一昨年、韓流ブームの一環でわかったのだが、「チングウ」は韓国語で「友だち」の意味だったのだ! 日常生活に普通にとけ込んで日本語化しているのは、近いし、関釜フェリー(釜山~下関)もあるし、住んでいる韓国人も多い(北の人も多い)街だからなるほど…だったのだが、じゃああいつの言ったあの漢字「珍偶」ってなんだったんだ!


 ついでですが、「チルソクの夏」(親善陸上競技大会を通じた日韓高校生70年代のラブストーリー」はお薦めです。監督さんは「半落ち」で有名な人です(下関出身)。山本穣司も熱演!

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グッドラック! 「障害児と生きる日常(20073)」 [ 最近のことの日記 ]
 先日、勤務校の特学の生徒達と「空港見学」に行った。

 最初は屋上からの飛行機見学。次々に飛び立つ飛行機はなかなか爽快な眺めだった。

 お昼ご飯を室内で食べた後、その場所で、航空会社の方からの講義を聴いた。

 スチュワーデスとCA(キャビンアテンダント)の違いがわかって目からウロコが落ちた。単にANA(全日空)がCAで、JAL(日本航空)などがスチュワーデスっていうだけだったのだが…。お姉さんはCAと呼ぶ方の会社の人なのに、最後の方で、「わからない時はスチュワーデスに聞いてください」と言ってしまっていた(笑)。

 講義中に、お姉さんの質問に正解するとシールがもらえるのだが、うちの子達は教室と同じ反応の子もいるので、もう大変だ。わからないけどとにかく手をあげて、当たってから「えーと、えーと、もごもごもご」と理解不能の答えを言う人あり、前の問題の答えをまた言う人あり、「ウー」とうなり続ける人あり、急に離席して走る人あり…さまざまだったが、手をあげて言いさえすれば「ええい、あげちゃう」とか言われながらのシール大サービスだった。

 おじいさんおばあさん達や、飛行機オタクのお兄ちゃんコンビ、CAをめざすお姉ちゃんコンビ…など多岐にわたる人たち(もちろん一番の強敵はうちの子達)を相手にいろいろとやりとりをして進行をしていたCAのお姉さんはお見事だった。

 でも、その見事なCAさんをも一瞬沈黙させたのがR君であった。

 離陸の時と、上空の安定飛行の時とは、羽根の大きさが違う…というような話をしていて、「じゃあ、この羽根の前の部分と後ろのこの部分をたたむとどうなりますか?」とお姉さんが質問を発した。

 多分、正解は「空気抵抗が少なくなる」とか「風の当たり方が弱くなる」とかそういう難しそうな話だったのだが、R君はただ1人自信満々に手をあげて、言い放った。


 「落ちる」


 みんなかたまった。

 ちょっと沈黙した後、CAのお姉さんが、「当社は、航空会社なので、『落ちる』は禁句です。そうですね、どうしても言いたい時は『着陸する』でお願いします」

 「おー」と大人から歓声ともどよめきともつかぬ声が上がった。でも、感心しながらもみんな笑いが止まらなかったが…。

 R君はさすがにこの答えではシールはもらえなかったようだ。でもあとで手をたくさんあげたという理由でもらっていた。


 最後は整備工場見学。柴咲コウはいなかったが、あの三輪車に乗るおいちゃんやお兄ちゃん、整備をしている柴咲コウではないお姉さんなどがいた。見れば見るほど「こんな鉄のかたまりが飛ぶわけない」と言いたくなる。

 おっと、これも講義で注意されていたのだ。飛行機は「アルミのかたまり」なのだそうだ。さらに最新のものは「カーボンのかたまり」とのこと。

 乗りたくない気持ちを表現する時は、「こんなプラスチックみたいなのが飛ぶのか?」と今後は言いましょう!

 この見学コース、申し込み制で無料なのでお薦めです。

 どうせならお昼の食事の接待をCAさんがしてくれるなら、有料でもおじさん達はまた来るのですが…。

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障害者自立支援法 「障害児と生きる日常(20073)」 [ 最近のことの日記 ]
 連チャンで飲むという久しぶりの出来事で、日記もすっかり止まってしまった。

 昨日は、大学の先輩後輩の集まりなのでもう無条件に楽しい飲み会だったが、今日は緊張?感もある飲み会だった。と言いながら結局酔っぱらうのだが…。

 今日は地域のNPO法人主催の講演会があり、その後の懇親会で飲んできた。講師の先生(全国的な活動をしている人)は障害者自立支援法についてわかりやすく説明してくれた(それでもちゃんとはわからなかったが)。日頃は福祉の仕事をしていて、土・日に講演会…すごい人がいるものだ。

 結局の所、とにかく予算を削減するために、変に構造改革した…というところか。始まってみないとわからん…という感じだった。

 講演会の後の懇親会で、養護学校の先生とか、地元のNPO法人の方とか、グループホームを立ち上げた方とか、そういう面々と飲んできた。

 保護者兼教育関係者兼元養護学校教諭というややこしい立場なので、最初はおとなしくしていたのだが、結局ぺらぺらしゃべってきた。

 しゃべっても別にいいのだが、何を言ってきたかとか、話した人のお名前とかをちゃんと覚えてないことが問題である…。

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移動教室 「自分らしい生き方・お仕事(63304)」 [ 最近のことの日記 ]
 明日から3日間、指導補助員をやっている中学校心障学級のスキー教室に参加する。実は私は「スキー撲滅会」を名乗るほどスキーが好きではないのだが、人手不足のためやむを得ず、講師の学校2校で1日ずつ年休(今年度初)をとって、参加することとなった。

 スキーは、ボーゲンなら滑れるし、転ばずに過ごせるのだが、それ以上の向上心がないまま、こうした引率で数回行っている。今回は、少しできる生徒には、「相当滑れる先生」がつき、初心者の生徒には「普通の先生」が長靴で付く…という感じなので、たぶんスキーを履かずに過ごせそうだ。

 今までの経験では、若者は吸収が早くて、初心者が2泊3日で参加すると、初日は私の方がうまくて、最終日には抜かれている…というのを何度も体験した。今回はどうなるのかなあ…ととても楽しみだ。

 今回は夜寝るのも生徒と同じ部屋なので、24時間態勢の勤務である。さらに少年自然の家みたいな宿舎なので、おそらくアルコール類3日間我慢か…。でも今年度最後の大きな行事なので「最後のご奉公」になるかもしれないつもりで行って参ります!

 ちなみに今回使うスキーウェアを買うためにヤフーオークションをして例のサイバー犯罪が発覚したのだった。でも無事に落札でき、デサント製を4900円で手袋までついての3点セットで購入できた。

 で、何で買い換えたかというと、昔買ったウェアを着たときに、お腹のファスナーがぶち切れたのであった。12年前のサイズをだましだまし着ていたが、5年ぶりの今回、だまされないくらい自分が肥大化していた!
 
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スキー教室 1 「障害児と生きる日常(20073)」 [ 最近のことの日記 ]
 木・金・土の3日間、スキー教室の引率(中学校の特学)に行ってきた。ひとことで言うと、すごく大変で、すごく楽しい3日間だった。

 ブログに書こうと思いながらも、疲れと、何から書こうかという迷いと、内輪ネタが多くて出せないなあ…ということからついつい面倒になってしまった。

 今回、一番の恐怖体験は、「リフトが恐くてしょうがない子と一緒にリフトに乗ったこと」だった。

 ダウン症のA君は、結構滑れるようになっているし(うちの人とも以前来ている)、自分で斜面を登るのはいやなので、どう考えてもリフトで登るのが一番である。お子様コースのエスカレーターみたいなのが本人は好きらしいが、彼の班はもうその段階ではないので、「行くぞ」とインストラクターさんや他の先生(インストラクター資格持ち)に連れられて乗っていた。

 2日目の午後は、みんなうまくなってきて、初めてリフトに乗る子なども出てきたので、私もスキーを履いて上に行くことになった(それまでは長靴で走り回っていた)。うまい先生達は初めてリフトに乗る子につくので、私は「リフトが恐くてしょうがないけど、乗ったことのある」A君と一緒に乗ることになった。

 リフト乗り場に進むまでがまず大変。下は凍っているから一人でも必死なのに、腕にしがみつかれている。「乗りたくない」とかたくなにならないように、「はーい、楽しいよー」とか言いながらも本当は自分も乗りたくない(笑)。前のリフトが行って、必死で前方に進む。左側からは「進むまい」とする力(行きたくない彼の抵抗する重力)がかかっているので進むのも必死だ。

 ほとんどギリギリのタイミングで無事?に乗りこむことができた。上から降ろすバーがついているので一安心。

 ところがまだまだ恐かった。このリフト、下から一本目にしては長いのである。うちの子達のためにスピードを最低速まで落としてもらったのもあるが、15分くらいかかる。それにかなり高い。私も高所恐怖症で、それでも日頃は下を見ずに遠くの山とかを見ているから平気なのだが、この時は違った。

 となりのA君が、いつまでもこわがるせいで、こっちまでこわくなってきた。バーをものすごい力で握りしめて、目を閉じて、「こわいー」と言う。


 気を紛らわせようと、「歌を歌おうかー」

 「いいー(否定の方)」

 演歌好きの彼に合わせて、「みちのく一人旅」でも歌うかと

 「ここでー、一緒に死ねたらいいと…」 (今の状態では縁起悪いな)
 
 「やめてー」  歌終了。

 「しりとりしようか?」

 「スキー」  「いいー(否定の方)」  「いや?」  コクリ。  しりとり終了。

 口笛開始  「いいー(否定の方)」  口笛終了。

 そういう5分間ののちは、沈黙のままの10分間(推定)。ちょっと揺れるたびに、お互いビビリながら恐怖に耐える時間となった。
 
 途中、看板に 「子供落下注意」とか「飛び降りないでください!」(誰が降りるか)など書いてあって、私の恐怖心は高まった。 

 そしてやっともうすぐ上につくというときになって、「はい、バーをあげるよ」 

 「いいー(否定の方)」

 「いや、上げないと降りられないから」

 「こわいー」

 このまま降りられないで、リフトで下ることになったらそれこそ恐いのだが…。

 ギリギリまで粘って、「はい上げて」  今度は素直に上げた(さすがは経験者)。リフトから降りるときも左腕にぶら下がったままだったが何とか脱出成功! 降りて少し滑った私は心臓がバクバクしていたのだった。


 その彼もふくめて、上の方に来てもなかなかひとりではすべらずに遅れてしまう子が二人。もう一人のダウン症のB君とともに「合体」と要求ばかり。

 あまりにも遅れると困る…と、上手な先生が自分の後ろにしがみつかせて滑ったのが「合体」なのだ。しかしこんなことは私にはできない。大体、後ろにはまられると、ハの字のボーゲンができない!

 「合体できない先生だからダメです」と言いながら下り、やっと前に追いついた所で(滑ったと思ったA君が同じく止まっていた)上手な先生に「三人合体」で班に追いつく所まで降ろしてもらった。

 ものすごいスピードが出ているのだが「合体」していると恐くないのであった。

 合体をとくと、また秒速1cmくらい(笑)のスピードにもどる。となりでハの字で待っていると、ものすごく太ももが痛い。

 業を煮やして、自分のストックを握らせると滑り始めた。早くなったり遅くなったり、合わせて滑った自分が一番練習になったのであった。

 ついでながら、若い女性の先生とまで「合体」してすべった後のA君は他の男の先生達に見捨てられていくのであった…。

 「前に行く、後ろに行く?」と聞かれて、すごくうれしそうに

 「後ろー」と言って、しがみついていた。

 「いいなー」と言っている大人が2名いた。

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スキー教室 2 「障害児と生きる日常(20073)」 [ 最近のことの日記 ]
 昨日に続いて、スキーゲレンデにて。「合体」好きの二人の少年とはちょっと違うキャラクターのC君(ダウン症)。初日は、まだ風邪が抜け切れていないこともあって、少しだけ滑ったら後は嫌がって休んでいた。

 そして2日目の朝は張り切ってリフトに乗っていった。実は彼はクラスの20名中もっともスキー経験のある人なのだ。しかし、初心者&こわがり&バランスが今ひとつ…の子達は大人数人に支えられてのヴォーゲン…これはこれで手がかかるのだが、滑れるから「手がかからない」わけではないことが彼を通じてよくわかった。

 この日の午前中、私はビデオ撮影係。ふもとで初心者の出遅れている班を撮影した後、初めてリフトに乗った初心者班を撮るために、ゲレンデの上の方に向かった。長靴だったので(スキー板をつけて撮るようなことは私には無理)、リフトに乗ろうとしたがおじさんにことわられ、とぼとぼと雪山を登っていった。晴れていたので気持ちよかったが、雪中行軍はまさに映画『八甲田山』のようだった。路肩を進むうちに油断すると崖に落ちそうで、早く誰かに会いたい思いでいっぱいだった。

 そんな時に前方からC君が現れた。ニコニコと満面の笑みで滑ってくる。遠くにインストラクターや他の人の姿が見えたので、「イエーイ」と手を振り合った後、ひとまず止めた。「勝手に先に行ったらダメだよ」

 そして追いついてきたインストラクターさんと他の人たち…「C君はここでーす」と言おうと思ったら、全然知らない人たちばかりではないか!

 彼は他の人よりちょっと先に来たのではなかった。完全な脱走兵だったのだ!

 その場で待つこと3分、上からスキーのうまい先生が降りてきた。「あー、やっといたー。今来ましたか?」 「いや、もう3分前くらいです」

 みんなが講習を受けながら止まったり滑ったりしていても、スキを見ていつの間にか先に行ってしまうようである。「いない」と気づいた先生が猛スピードで探して降りてきた…とのことだった。

 そしてこれはこの日何度も繰り返された。特にひどかったのは、午後、山頂に行ったとき。C君は、急な斜面にびびって大泣き(笑)。山にこだまするような大声で「いやーだ」とか「こわーい」と叫んで泣いていたそうだ。見かねたよそのインストラクターさんが助けて?くれて、べそかいて何とか降りてきた。

 ところが、自分の滑れる角度の所まで来ると、あっという間に消えていったそうだ。さっきまで泣いていた人がまさか…という感じでみんなあっけにとられたそうで、やはり「滑れるけどいうことを聞かない」のも困りものである。

 ちなみに自閉症コンビも、指示が通らないことについては横綱級であった。楽な方法にこだわってか、どれだけ言われても「カニさん歩き」で山の斜面を登ることを嫌がっていた。練習としてみんなで並んでやっているのにまったく無視なのだ。ひとりは、豪快なスケーティングでのしのし歩く。振り回すスティックが私の顔を危うくかすめた。もうひとりは同じように登ろうとまっすぐ向くのだが、初心者なので後ろ向きに滑り落ちていく…で、倒れては怒る…落ち着いたらカニ歩き…すぐにイヤになりまっすぐ登ろうとして後ろ向きに滑り落ちていく…倒れて怒る…と繰り返しながら、だんだんパニックに近づいていくのであった。


 他にもつわものはいた。なかなか「ハ」の字でヴォーゲンがすべれない女の子に、「『ハ』の字って、どんな字だ?」と聞くと

 「むずかしくてわかんない!」と答えられてしまった。

 『歯』の字とか『葉』の字とかで考えていたのだろうか???

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